Sagae yakitori’s history やきとりだけど、鶏肉だけじゃないさがえやきとりの歴史

さがえ(寒河江)やきとりは豚・牛のモツが中心で、安くてボリュームがあるのが特徴。
そのルーツとは・・・
やきとり界のガラパゴス。さがえやきとりの歴史を知れば、美味しささらにアップ!!

日本のやきとりの歴史

●鶏肉は牛肉よりも高級だった!?
焼鳥が料理書に現れるのは寛永二○年(一六四三)の「料理物語」。この書には鶏が食材として挙げられている。
明治以降、肉食の禁令が解かれ、「番頭さんは牛肉料理で旦那さんは鶏料理」といわれるほど、鶏は高級料理であった。今でこそ牛肉が最も高級な食材と思われているが、供給の関係から、昭和中期にブロイラーが台頭するまで鶏肉は高級食材だったのである。
●モツを串に刺して焼く「やきとり」は、東京のご当地料理
明治時代に東京等の都市部を中心に肉食が一般に普及し始めると、肉料理店から残り物として出るモツを蒲焼にして売る屋台が出始めた。元々、日雇い労働者や人力車夫などの都市下層の人々の間で広まったが、安価で濃厚な旨味をもつその「やきとり」は、徐々に東京の一般大衆の支持を集めるようになる。
モツ焼きの「やきとり」という名称は、串に刺して焼くというスタイルが同じ事と、鶏を使った「焼鳥」の高級イメージを使って販売するようになったことに端を発しており、戦前までには「やきとり」という名称が東京の一般庶民に深く浸透していた。
大正12年の関東大震災の復興や、第二次世界大戦後の闇市でもその手軽さから「やきとり」屋台が多く誕生し、東京の食文化の一端を担うこととなる。
●そして鶏肉を使った焼鳥が大衆化
焼鳥の大衆化がはじまったのは昭和三五年頃からの食肉用ブロイラーの普及による。鶏の価格が安くなり、身近な食材となったためである。
この頃から、大衆焼鳥店が多く登場してくる。サラリーマンが会社帰りに立ち寄る場所として駅の近くに焼鳥屋が目立つようになる。

寒河江やきとりのルーツは、東京のご当地料理である「やきとり」

現在の状況や関係者の話から、寒河江に「やきとり」が普及したきっかけは、昭和30年の「さらや」の開業にあると考えられる。
「さらや」はやきとり店を開くにあたり山形市内のやきとり(モツ焼)店で修行しており、そのお店は開業前に東京・浅草のやきとり(モツ焼)の名店で修行をしたとのこと。
このことから、寒河江やきとりは東京のご当地料理であった「やきとり」がルーツになっている事がわかる。
「さらや」はその珍しさや、安価でボリュームがありとても美味しく、また立地の良さなどから瞬く間に人気店となった。
その後、高度経済成長期の流れとともに市内に「さらや」のスタイルを踏襲するやきとり店が次々に開業することとなり、全国ではブロイラーの登場によりモツを串に刺したやきとりから鶏肉のやきとりに代わっていくが、モツ焼きのやきとりが寒河江・西村山地区の食文化として根付いていった。

さがえやきとりの名脇役「豚足」のルーツ

現在、寒河江のやきとり店の多くで提供されている「塩茹での豚足」についても「さらや」が発祥である。
客であったトラック運転手が名古屋で見聞きした豚足料理の話を元に、試行錯誤の末、丁寧に皮を剥いだトロトロの塩茹で豚足が誕生した。
この豚足の調理法は全国でも珍しく、寒河江やきとりには欠かせないサイドメニューとなっており、「寒河江やきとり」の看板のひとつでもある